日本縦断あくしゅの旅 ~あくしゅに込めた想い

病に倒れ、周りの人に助けられ、感謝の旅を思いついたのは旅立ちの数か月前。

その時、すでに「日本縦断あくしゅの旅」というフレーズ・旅のスタイルは自然と思いついていました

2009年1月15日に会社を退職し、同年2月11日の旅立ちスタートに向けて準備を開始。

お手製の名刺にも「日本縦断あくしゅの旅 2009年2月~」と記載しました。

 

しかしながら2月に入り恥ずかしながら体調を崩し、大事をとって予定を1週間繰り下げ。改めて出発するべく仕切り直しました。

 

いよいよスタートだ。

そんな矢先、1本の電話が入りました。実家の山梨に住んでいる父からの電話。

 

「母さんが倒れた。今すぐ帰ってきてくれないか」

 

気が動転し、その場に立ちすくみ、そしてボロボロ涙が流れてきました。

自分の親が倒れるなんてこと想像もしていなかったこと。

でも考えてみれば母はもう60歳もとうに過ぎ、いつ病になってもおかしくない歳。

 

すぐに気を取り直して、最低限の準備だけして、電車に飛び乗りました。

東京から山梨への2時間半。その時に改めて考えさせられたんです。

 

「僕は本当に旅をしていいのかな・・・」

 

電車に揺られながらそればかりを考えてました。

それでもやっぱり結論は、旅をすることは間違ってない、でした。

今、多くの人たちに助けてもらったこと。だからこそ、今、その好意に対する感謝、恩返しをしなければ意味がない。母が少しでも落ち着いたらそれだけはわかってもらって旅立とう。

そう強く心に唱えました。

 

でも、なんで「握手」なんだ。

 

その時です。

今までの父とのこと、母とのこと、家族で暮らしてた時間を涙をこらえながら一つ一つ思い返してました。そして気づきました。

 

小さい頃から父が僕にしていてくれたこと。それは今でもしてくれること。

 

病気で寝込んでいるとき、運動会のとき、試験のとき。

父は必ず僕の手をぎゅっと握って「うーっうん」と想いを込めてくれたんです。

「父さんのパワーを送ったからもう大丈夫だ」

 

それが「握手」なのかはわかりません。

でも確かにいつもどんなときでも父は僕の手を握り、ありったけの「パワー」という名の「想い」を伝えてくれました。

 

 

父がしてくれたこと。

それがイコール握手ではないけれども、僕の中で「手を握る」という行為がなんか特別なものだったのかもしれません。

 

母が病に倒れてしまったことはとても悲しいことでした。

でも、ある意味「もう一度、自分の旅を見つめなおしてから旅立ちなさい」と教えてくれたきっかけでもありました。

 

1ヶ月後、母の容体も落ち着いたので僕は旅立ちました。

あくしゅをする。

元気をあげて、元気をもらって、ぬくもり感じて、つながって。

 

それが僕の「あくしゅ」のスタイルなのでした。